里山随想

2012年1月16日月曜日

里山の声

t f B! P L

 自然との共生ということばを耳にします。

 人間が生きていく上で、自然界でどのように関わっていくかを考えると、自然との共生こそ不可分の方法であって、人間も自然界の一員に過ぎないのだという謙虚な思考にたどりつくのでしょう。

 これは村人たちによってまもられてきた「里山」という自然を放置してきた結果、やっと気づいたわたしたちの答えにほかなりません。

 里山の自然は、村里近くの人々が、そこを生活の根城として、朝な夕なに出入りし、薪をとり炭を焼き、牛や馬の飼料を手に入れる場所であったし、子供たちが昆虫狩りに夢中になってかけずり回っていた遊びの舞台でもあったところでした。

 里山とのかかわりでなにを得て、放置してきた結果なにを失ったのかを考えてみると、そこには子育ての原点もみえてくるように思われます。

 現代のようにいつどこにいても物が満ちあふれ、機械化された生活がはたして人間生活をゆたかにしてくれるのだろうか?便利な生活は、思考をにぶらせ、ある意味で向上心をそいでいる一面がみえかくれしているようです。

 戸外で遊ぶことがなくなった子どもたちは、ゲーム機のなかにとじこもり、実生活の体験をしないまま大きくなって社会にとびだしていかなくてはなりません。

 それは、組み立てて試運転もしたことのない機械のように、あやふやな状態に放り出されたも同然です。

 やり方がわからないのですぐキれてしまうのではないでしょうか。

 永い年月、地域の人々にささえ守られてきた里山には、希少な動植物が生育し、それらの生命一つ一つは、直接人間の役に立っているようにはみえないが、動物の生活は、受粉をたすけ、タヌキや小鳥は植物のタネをとおくにまで運ぶ手伝いをしてくれています。

そうしてそだてられた森は、空気をきれいにし、水をためています。ミミズやケラは土をたがやしてくれています。

 これらの循環は、村人の出入りしていた里山のいとなみにうまく歯車がかみ合って、何百年も営々とくりかえしくりかえし共生を続けてきました。

  しかし、ここ30~40年くらいまえから、このような里山は、あまり用をなさなくなり、うちすてられて荒れ地と化してきつつあります。人間にとって、なが い年月のいとなみは、それなりに価値のあることで、水路をコンクリート張りにし、農薬で育てる稲作は、自然界の生態パターンを根本からくつがえしてうるお いのないものにしてるのではないでしょうか。

 田んぼには、タニシとかドジョウやふな、数え切れない昆虫が生きてつづけてきたことが、人間の生活様式の変化で消滅しかかっています。

い まさら、人間のいとなみを180度もとにもどすことは、ほとんど不可能でしょうが、せめてその歴史をふりかえり、里山という場所がいかに人間の生活をゆた かに支えてくれていたか、人々の暮らしにどのようなつながりがあったかをみつめなおし、そのごく一部でも紹介したいと思っています。





平成16年4月吉日

NPO三重の里山を考える会

事務局長   村田 一成




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