「里山」というコトバは、京都大学名誉教授の四手井綱英氏が昭和30年頃に言いだしたのだと聞いている。
深い奥山が山里なら、農家が集う比較的ひらけた場所を「里山」といい、古来、田畑の肥やしにおちばなどを集め、まきを拾い、炭を焼き、家畜のえさとして、山草を刈り取ったり、また、コナラやクヌギを利用して、きのこ栽培などもしていた。
農耕を主流としていた日本では、「里山」のもつ意味は大きく、私たちの年代の者は、深い森とのかかわりに育てられていたと言っても過言ではない。
オオタカなどの猛禽類は、雑木林に生息する小動物を求めて集まり、森をとりまく田畑は、それらの動物をはぐくむ揺りかごでもあった。
比較的人目につく場所に営巣しているオオタカの習性もうなづける由縁である。
私たちが「里山保全」をうったえていた当時(平成7年)、まだ「里山」というコトバが広辞苑に登場していなくて、そのコトバのもつ響きはなんとものどかな暖かさを秘めていた。
戦後、高度成長期へと移行する中で、「里山」はお金を生まない厄介者扱いをうけ、次第に放置荒廃への道のりを辿っていった。そんな中、雑木山を潰して、スギやヒノキの植林山にとってかわり、生態をゆたかに保つ広葉樹の森は狭められていったのである。
現代における「里山」保全の意義は一般的に乏しく、どうしても人間中心(里山を壊して開発)の営みに傾いていくのだが、はたしてこれでいいのだろうか。長い年月の日本の「里山文化」を今一度見つめ直してみたい。
私たちは、この難しい課題に取り組み、100年先の日本を見据えた活動を行っています。
平成24年1月吉日
NPO三重の里山を考える会 事務局長 村田一成
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